「持たず作らず」の限界か?非核三原則が迫られる歴史的転換点
「持たず作らず」の限界か?非核三原則が迫られる歴史的転換点についての疑問解決ガイドをご紹介します。
非核三原則が公式に打ち出されたのは1967年12月、衆議院予算委員会における当時の首相・佐藤栄作の答弁に端を発する。文言そのものは極めてシンプルだ。「核兵器を持たない」「作らない」、そして国内に「持ち込ませない」。1971年には国会で決議採択され、法的拘束力を持つ条約ではないものの、事実上の最高規範として定着した。佐藤はこの功績などを理由に1974年にノーベル平和賞を受賞している。
しかし、当時の公電や外交記録を読み解くと、佐藤の真意は一枚岩の非武装平和主義ではなかったことが浮き彫りになる。佐藤は原則を掲げる一方で、米国の核抑止力(核の傘)への依存を明確に位置づける「四本柱」(非核三原則、核軍縮の推進、米国の核抑止への依存、原子力の平和利用)を同時に提示していた。つまり、最初から米国の核の傘に守られることを前提とした、プラグマティックな外交的妥協の産物だったのだ。