滋賀県の県庁所在地は大津!草津・彦根との違いと南西端の歴史真相
滋賀県の県庁所在地は大津!草津・彦根との違いと南西端の歴史真相に関する最新のニュースをまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。
滋賀県の行政地図を眺めた多くの人が抱く最大の疑問が、「なぜこれほど京都寄りの端に県庁を置いたのか」という点です。県土の中央部である近江八幡市や、東海道と中山道が合流する交通の要衝・草津市、あるいは旧城下町として威容を誇った彦根市のほうが、県内全域への目配せが利きやすいように映ります。
大津市が県の端にある決定的な理由は、古くから発達した琵琶湖舟運と大津発展の歴史に直結しています。鉄道や道路網が未発達だった江戸時代以前、物資の大量輸送における主役は水運でした。北陸や東北から日本海回りで運ばれた米や特産品は、若狭湾の敦賀などから陸路で琵琶湖の北端(塩津や今津)へ運ばれ、そこから大型帆船である「丸子船(まるこぶね)」に積まれて琵琶湖を南下しました。
その舟運の最終着地点であり、京都への陸揚げ口となった場所こそが「大津百町」と称された大津の港です。大津で降ろされた物資は、逢坂関を越えてわずか10キロメートルほどで千年の都・京都へと運ばれました。つまり大津は、滋賀県という枠組みの端にあったのではなく、「畿内と東国・北陸を結ぶ国家レベルの物流ゲートウェイ」の最前線だったのです。明治政府が地方行政拠点を定める際、すでに強固な都市基盤、通信網、財政基盤を備えていた大津を行政の中心に選ぶのは、当時の国家運営上きわめて自然な帰結でした。