富士大石寺顕正会はやばいのか?強引勧誘と破門の真相を徹底追及
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宗教的な源流を辿ると、顕正会はもともと独立した新宗教だったわけではありません。その起源は、日蓮正宗の信徒団体であった「妙信講(みょうしんこう)」にあります。現在に至る複雑な怨念と独自の立ち位置を理解するためには、国立戒壇と妙信講の歴史、そして激動の日蓮正宗からの破門経緯を把握しておく必要があります。
1960年代から70年代にかけて、同じく日蓮正宗の有力信徒団体であった創価学会が、大石寺境内に「正本堂(しょうほんどう)」の建立を計画しました。創価学会側がこの正本堂を実質的な戒壇と位置づけようとしたのに対し、浅井甚兵衛・昭衛親子率いる妙信講は「宗祖・日蓮の遺命は、国家の意思と国費によって建立される『国立戒壇』でなければならない」と猛反発しました。教義の正当性を巡る対立は泥沼化し、1974年、妙信講の青年部員らが東京都新宿区信濃町の創価学会本部に街宣車で乗り付け、乱入・衝突する暴挙に出ます。この過激な行動が決定打となり、日蓮正宗管長(法主)より講中解散処分および信徒除名処分が下され、実質的な破門となりました。
その後、組織名を「顕正会」へと改称し、日蓮正宗とも創価学会とも相容れない孤立無援の道を歩み始めます。一般には混同されがちな顕正会と創価学会の違いですが、両者の教義的解釈、組織規模、社会活動のアプローチには以下のように決定的な隔たりが存在します。
このように、顕正会は伝統仏教の本山からも、かつての巨大信徒団体からも完全に切り離された存在であり、自らを「唯一正統な日蓮遺命の継承者」と位置づけて先鋭化していった特殊な歴史を持っています。