予科練の歌に秘められた真実|若鷲の歌の誕生秘話と特攻の歴史

予科練の歌に秘められた真実|若鷲の歌の誕生秘話と特攻の歴史に関する最新の話題を分かりやすく解説いたします。

昭和歌謡や軍歌の文脈で頻繁に混同されるのが、「予科練の歌」と「若鷲の歌」という二つの名称です。結論から言えば、この2つは同一の楽曲を指しています。レコード発売当時の正式な曲名は『若鷲の歌』ですが、歌詞の冒頭やサビの印象、そして海軍飛行予科練習生の象徴的なテーマソングとして親しまれたことから、民間や戦友会の間では「予科練の歌」という通称が広く定着しました。

この名曲が世に送り出されたのは、太平洋戦争の戦局が日増しに厳しさを増していた1943年(昭和18年)9月のことです。当時、大日本帝国海軍は航空戦力の急速な消耗に直面しており、将来を担う搭乗員を大量に育成することが焦眉の急となっていました。そこで海軍省の後援のもと、東宝映画が総力を挙げて製作した航空国策映画が『決戦の大空へ』です。

主演に原節子などの大スターを配し、予科練を目指す少年とその家族、教官との情愛を描いた同作の主題歌として依頼されたのが本作でした。歌唱を担当したのは、当時のコロムビア専属トップ歌手であった霧島昇と、新進気鋭の波平暁男のデュエットです。朗々たる霧島の美声と波平の若々しい歌声が重なり合い、吹き込み直後から日本全国に爆発的な旋風を巻き起こしました。

海軍飛行予科練習生、通称「予科練」は、1930年(昭和5年)に設立された14歳から17歳の志願者を対象とする下士官搭乗員養成制度です。映画と主題歌の相乗効果は凄まじく、スクリーンに映し出されるスマートな制服姿や飛行訓練の雄姿に憧れた全国の少年たちが、競うように予科練の門を叩く社会的現象を生み出す契機となりました。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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