大仙陵古墳は誰の墓か?仁徳天皇陵の改称理由と立ち入り禁止の真相

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多くの観光客や歴史ファンが現地を訪れて直面するのが、「これほど巨大な歴史的遺産なのに、なぜ足を踏み入れることすら許されないのか」という疑問です。大仙陵古墳が立ち入り禁止となっている理由は、法律上の管轄区分と宗教的な尊厳維持という2つの厳格な枠組みに起因しています。

日本の文化財保護法において、一般的な遺跡や城跡は文部科学省(文化庁)が主管し、史跡として公開・活用が進められます。しかし大仙陵古墳を含む全国約900基の陵墓は、国有財産法に基づく「皇室用財産」として宮内庁の所管に置かれています。宮内庁にとっては観光地や学術標本ではなく、現在も天皇家が祖先を祀る「神聖な墓所(祭祀施設)」です。そのため、部外者の無断立ち入りは明確に禁じられ、周囲は三重の濠と有刺鉄線、防犯カメラによって厳重に遮断されています。

では、石室内部の様子はどうなっているのでしょうか。実は明治時代初期に一度だけ、埋葬施設が偶然白日の下に晒された記録が存在します。1872年(明治5年)、豪雨によって前方部の斜面が崩落し、内部から凝灰岩で造られた巨大な長持形石棺が露出しました。

当時の堺県令(知事)であった税所篤らが立ち会い、詳細なスケッチや遺物の調査が行われました。その際、石棺の周囲から金銅製甲冑、刀剣、ガラス製杯などが見つかり、精緻な図面(『阿倍野陵墓図』等)が記録されました。当時撮影されたとされる古いガラス乾板の石室写真は極めて不鮮明ながら現存しており、宮内庁や研究機関によって保存されています。また、この時に出土したとされるボストン美術館所蔵の鏡や太刀は、明治の混乱期に海外へ流出したものと推測され、古代史のミステリーとして今も研究が続けられています。

ただし、この露出部分は「前方部」の副埋葬施設に過ぎません。前方後円墳における本来の主たる埋葬主体は「後円部」の中心部に位置しますが、大仙陵古墳の後円部頂上は一度も近代的な発掘調査が行われておらず、どのような石室構造(竪穴式石室か初期の横穴式石室か)が眠っているのかは、現在も完全なブラックボックスのままです。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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