新宿コマ劇場の跡地と閉館理由を追う!歌舞伎町を変えた伝説の真相
新宿コマ劇場の跡地と閉館理由を追う!歌舞伎町を変えた伝説の真相の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。
新宿コマ劇場の歴史は、戦後日本の大衆芸能の歴史そのものでした。終戦直後、焼け野原となった歌舞伎町を「道義的復興」の旗印のもとに再生させようと、実業家・鈴木喜兵衛らが描いた文化拠点の構想がすべての始まりです。
1956年12月28日に行われた記念すべきこけら落とし公演は、東宝ミュージカル特別公演『コマ・ミュージカル春のをどり』でした。初代劇場は「ギリシャ時代の円形劇場」を近代工学で蘇らせることをコンセプトに設計され、その最大の特徴は中心から同心円状に3重に分かれて回転・昇降する巨大な円形回転舞台(直径約19メートル)にありました。この独創的な舞台機構が、独楽(コマ)のように回転することから「コマ劇場」と命名されたのです。
客席数は全盛期で2,000席を超え、最終的な座席数・キャパシティは2,092席。映画館の巨大スクリーンとは異なる圧倒的な臨場感と、巨大なオーケストラピットが生み出す生演奏の迫力は、名実ともに日本最高峰のエンターテインメント空間を形作っていました。
この舞台を誰よりも愛し、歴史にその名を刻んだのが演歌界の巨頭・北島三郎です。1970年代から毎年恒例となった「北島三郎特別公演」は、チケット発売と同時に即日完売を記録。通算上演回数は4,000回を突破し、コマ劇場の歴史そのものとなりました。特に第2部歌謡ショーのフィナーレを飾る楽曲『まつり』では、回転舞台がせり上がり、巨大な龍やねぶたの山車が姿を現す規格外のスペクタクルが展開され、客席のボルテージは最高潮に達しました。北島自身も閉館時のインタビューで「コマの舞台は客席と呼吸が一つになれる、世界一の劇場だった」と涙ながらに語っています。
北島三郎のみならず、美空ひばり、小林幸子、水前寺清子、森進一、八代亜紀、松平健(『マツケンサンバ』の爆発的ヒット期)など、昭和・平成を象徴するトップスターたちが座長として君臨。1カ月間のロングラン公演を完走することが、日本の芸能界において一流の証とされていました。