戦前のカラー写真が映す日本のリアル!白黒を超えた驚きの日常と街並み
戦前のカラー写真が映す日本のリアル!白黒を超えた驚きの日常と街並みの全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。
「戦前にカラー写真など存在するはずがない」という言説は、写真史の観点から見れば明確な誤解です。日本におけるカラー写真の歴史は、大きく分けて「職人による手彩色」「黎明期の直接天然色写真(オートクロームなど)」「初期カラーフィルムの登場」という3つの潮流を経て発展してきました。
幕末から明治時代にかけて急速に普及したのが、モノクロの銀塩写真の上に細筆で顔料を塗り重ねた「手彩色写真(横浜写真)」です。フェリーチェ・ベアトや日下部金兵衛、玉村康三郎といった写真家たちが手がけた作品は、浮世絵の版木摺り技術や蒔絵の彩色技術を持つ日本の伝統職人が着色を担当しました。着物の柄や人肌の温かみ、風景の陰影に至るまで極めて精緻に再現され、主に外国人向けの高級土産品として海外へ輸出されていました。
大正時代に入ると、フランスのリュミエール兄弟が1907年に実用化した世界初の本格的直接カラー写真技術「オートクローム(Autochrome Lumière)」が日本にも持ち込まれます。オートクロームは、赤・緑・青(紫)に染色した微細なジャガイモのデンプン粒をガラス乾板に敷き詰めることで、光の三原色を記録する画期的な天然色写真でした。フランスの銀行家アルベール・カーンが私財を投じて世界各地の文化を記録した一大プロジェクト「アルベール・カーン コレクション(地球映像資料館)」では、1912年(大正元年)から1920年代にかけて特派技師ステファン・パセらが来日し、大正初期の日本の風景や人物を本物のカラー原板として克明に記録しました。
その後、昭和初期から1930年代後半にかけて、小西六(後のコニカミノルタ)や富士写真フイルム、米コダック社による多層乳剤カラーフィルムの研究・実用化が進み、戦時統制下に入る直前まで商業広告や報道の現場で実験的なカラー撮影が試みられていました。つまり、現存する戦前カラー写真の一部は、後から塗ったものではなく、撮影当時の光そのものを化学的に固定した本物のカラー原板なのです。