山本陽子の光芒と熱海の晩年|死因の真相から生涯独身の美学まで
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山本陽子さんの芸能生活は、最初から華々しい女優志望として始まったわけではありませんでした。都内の名門高校を卒業後、彼女は大手証券会社である野村證券に入社し、エリートOLとして勤務していました。その洗練された美貌と立ち居振る舞いは当時から社内でも群を抜いており、同僚が勝手に応募した日活ニューフェイス第7期に合格したことを機に、1963年に映画界へと足を踏み入れます。
当時の若い頃の写真や劇中カットを振り返ると、陶器のような白い肌と涼しげで理知的な目元、端正な顔立ちが際立っており、正統派美人として瞬く間に脚光を浴びました。1965年にはTBSドラマ『七人の孫』に出演し、森繁久彌さんをはじめとする大物俳優陣に囲まれながら、瑞々しい演技でお茶の間の人気を確立します。
山本さんのキャリアを決定づけた最大の代表作といえば、1982年にテレビ朝日系で放送された松本清張原作のドラマ『黒革の手帖』です。彼女が演じた主人公・原口元子は、銀行から大金を横領して銀座のクラブのママへと成り上がり、魑魅魍魎の男たちを相手に冷徹な知略を巡らせる希代の悪女でした。山本さんの持つ気品と冷徹な微笑みのコントラストは社会現象を巻き起こし、「知性派悪女」という新たな女優像を日本ドラマ史に刻み込みました。