火垂るの墓作者・野坂昭如の壮絶実話|妹への贖罪と清太の真相
火垂るの墓作者・野坂昭如の壮絶実話|妹への贖罪と清太の真相を詳しくリサーチ! 知っておきたい 重要ポイントを分かりやすく展開します。
野坂昭如は1930年(昭和5年)10月10日、神奈川県鎌倉市で誕生しました。実父は後の新潟県副知事となる野坂相如でしたが、生後まもなく神戸の張満屋(はりまや)家に養子として引き取られます。裕福な家庭環境で育てられたものの、1945年(昭和20年)の神戸大空襲によって生活は一変しました。
養父を空襲で失い、重傷を負った養母と幼い義妹を抱えた当時14歳の野坂は、焦土と化した街を逃げ惑う過酷な避難生活を強いられます。戦後は親戚を頼って福井県へと疎開したものの、そこでさらなる悲劇に見舞われることとなりました。
戦後、早稲田大学仏文科へ進学(後に中退)した野坂は、放送作家やCMソングの作詞家(『おもちゃのチャチャチャ』など)として頭角を現します。その後、雑誌編集長やルポルタージュ執筆を経て作家デビューを果たし、無頼派・異端の知識人として昭和・平成の言論界を牽引しました。晩年は2003年の脳梗塞発症以降、懸命なリハビリと執筆活動を続け、2015年12月9日に心不全のため85歳で逝去。その波乱に満ちた生涯は、常に戦争の記憶との対峙の連続でした。