西行「願わくは花の下にて」の真相|釈迦の命日に逝った伝説の死生観
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この歌を不滅の伝説へと押し上げたのは、西行が迎えた弘川寺での最期の事実です。歌を詠んでから歳月が流れた建久元年(1190年)、西行は河内国(現在の大阪府河南町)にある弘川寺にて、73歳でこの世を去りました。
その命日は、なんと旧暦2月16日でした。釈迦の命日である2月15日のわずか翌日であり、まさに「望月のころ(満月の時期)」そのものでした。
自らが歌に詠んだ通りの季節、満開の桜が咲く寺の片隅で、釈迦の命日に寄り添うように旅立ったこの最期は、当時の貴族社会や文壇に凄まじい衝撃を与えました。当代随一の歌人であった藤原定家は自身の日記『明月記』でその死を深く悼み、天台座主を務めた高僧・慈円も「願ひ置く 仏の道に たがはぬ(生前の願い通りに仏の道へと旅立った)」と驚嘆と崇敬を込めた追悼歌を残しています。自らの死期を予言し、美学の極地として成就させたこの最期こそが、西行を「歌聖」へと押し上げる決定打となったのです。