小宮山悟シェイクの真相と誕生秘話|打者を翻弄した魔球の握り方と球速
今注目を集めている 小宮山悟シェイクの真相と誕生秘話|打者を翻弄した魔球の握り方と球速について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。
「打てるものなら打ってみろ」という豪速球投手の気迫とは正反対の思想から、シェイクは産声を上げました。この球が生まれた背景には、小宮山悟という投手が歩んできた波乱万丈のキャリアと、飽くなき探求心が存在します。
1989年のドラフト1位でロッテオリオンズに入団した小宮山は、針の穴を通すような制球力と鋭い洞察力を武器に、千葉ロッテマリーンズのエースとして君臨しました。その後、横浜ベイスターズを経て、2002年には単身渡米してニューヨーク・メッツでメジャーリーグに挑戦。厳しい生存競争とベースボールの原点に触れた小宮山は、翌2003年の無所属(浪人)期間を経て、2004年に古巣・千葉ロッテへ電撃復帰を果たします。
復帰当時の年齢は30代後半。投手の生命線である球速の衰えをカバーし、百戦錬磨のパ・リーグ強打者たちを翻弄するために試行錯誤を重ねる中で着想を得たのが、「極限まで遅く、打者のタイミングを狂わせる無回転球」でした。
この秘密兵器に最大の理解を示したのが、メッツ時代にも指揮官を務めていたボビー・バレンタイン監督です。キャンプや投球練習で小宮山が投じる浮遊する遅球を見たバレンタイン監督は、打者の手元で小刻みに揺れ動く様を見て「Shake(シェイク)」と命名。「今季のサトルには誰も見たことがない秘密兵器がある」と報道陣に予告し、球界に大きな衝撃を与えました。
そして迎えた2005年のセ・パ交流戦。中日ドラゴンズ戦などでベールを脱いだシェイクは、スタンドのどよめきと相手ベンチの苦笑いを誘いながら、見事に打者を凡打に仕留めました。単なる客寄せのパフォーマンスではなく、極限の勝負の世界で計算し尽くされた戦術としての「魔球」が公式戦のマウンドで実証された瞬間でした。