竹鶴政孝はなぜサントリーを去ったのか?鳥井信治郎との確執とニッカ創業の真相
竹鶴政孝はなぜサントリーを去ったのか?鳥井信治郎との確執とニッカ創業の真相に関する主要な事実を丁寧にまとめました。詳細な解説をご確認ください。
帰国後、本格ウイスキー造りの情熱を買われ、寿屋(現・サントリーホールディングス)の創業者である鳥井信治郎に招聘された。鳥井の圧倒的な商才と資金力、そして本場の技術を体得した職人の情熱が融合し、1923年、京都郊外の山崎に日本初の本格モルトウイスキー蒸留所が誕生する。しかし、理想を掲げる二人の間には、やがて埋められない決定的な溝が生じることとなった。
「日本人の繊細な舌に合う、飲みやすいブレンドを優先すべきだ」と説く鳥井に対し、「スモーキーで重厚な本場のスコッチスタイルを貫くべきだ」と譲らない職人魂。大衆に受け入れられる商売を志す経営者と、一切の妥協を排して本物を追求する技術者。二人の対立は避けては通れない宿命だった。10年間の契約満了とともに会社を去り、独立を選んだ背景には、己の信念を何者にも曲げられないという強い意志があった。
そして1934年、大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を設立。ウイスキーが樽の中で熟成するまでの長い年月を耐え忍ぶため、リンゴジュースを販売して糊口を凌ぐという過酷な下積みを経て、ついに独自のブランドを世に送り出したのである。