瀬戸内寂聴の本名と改名の真相|晴美から法名へ波乱の生涯を解明

瀬戸内寂聴の本名と改名の真相|晴美から法名へ波乱の生涯を解明の特集記事を解説します。役立つ情報が詰まっています。

一般に広く知られる「瀬戸内寂聴」という名は、宗教者としての僧名(法名)であり、作家としての筆名です。日本の公的な戸籍制度における本名は、生涯を通じて瀬戸内晴美(せとうち はるみ)でした。2006年に受章した文化勲章の官報告示をはじめ、公的な行政記録においても本名「瀬戸内晴美」として記載されています。

彼女の生涯における苗字の変遷を辿ると、激動の時代と人間関係が克明に浮かび上がります。1922年5月15日、徳島県徳島市で指物師を営む家庭に生まれた際、戸籍上の筆頭者は父・三谷豊吉であったため、出生時の氏名は三谷晴美でした。父の豊吉はもともと瀬戸内家の出身でしたが、三谷家へ養子に入っていた経緯があり、後に実家の瀬戸内姓へ復氏したことで、一家の苗字は瀬戸内へと戻ることになります。

東京女子大学国文科に在学中だった1943年、見合い結婚によって中国古代音楽研究者の酒井佐吉と婚姻し、戸籍名は酒井晴美となりました。戦時下の北京へ渡り翌年には長女を出産しますが、日本の敗戦を経て帰国した後の1950年、夫の教え子との恋愛関係によって出奔。正式な離婚が成立したことで旧姓へと復氏し、以降は終生「瀬戸内晴美」が公的な本名であり続けました。

日本の戸籍法第107条では「やむを得ない事由」があれば家庭裁判所の許可を得て氏名の変更が可能であり、僧侶が出家した際に戸籍上の名を法名へと改名する事例は少なくありません。しかし彼女は、役所の戸籍名をあえて「晴美」のまま残しました。戸籍という公的な軛(くびき)の中に自らの原点を刻み込みながら、世俗の筆名と僧名として「寂聴」を名乗り分けた姿勢に、作家としての矜持が如実に現れています。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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