立川談志が遺した「業の肯定」の真相と弟子たちが明かす天才の素顔
立川談志が遺した「業の肯定」の真相と弟子たちが明かす天才の素顔にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。
立川談志という表現者を語る上で、決して避けて通れないのが1965年に刊行された名著『現代落語論』です。当時弱冠29歳だった談志が著したこの一冊は、それまで情緒や伝承として語られがちだった落語を、初めて客観的な言語体系と哲学の俎上に載せた画期的な論考でした。
本書の中で提示され、談志落語の代名詞となったのが「落語とは、業(ごう)の肯定である」という命題です。一般社会や既存の道徳観務は、人間に対して「正しくあれ、勤勉であれ、酒に溺れるな、嘘をつくな」と要求します。しかし談志は、人間は本来、怠惰で、見栄っ張りで、酒に弱く、色情に迷う救いようのない存在であると見抜いていました。
「落語に出てくる奴らは、泥棒に入っても寝入ってしまったり、酒を飲む口実に嘘をついたりするろくでなしばかりだ。だが落語は、そのどうしようもない人間の弱さを『それでいいんだよ』と笑って許してやる。それが業の肯定だ」と談志は語りました。社会規範からこぼれ落ちた人間の不完全さを丸ごと抱きしめる姿勢こそが落語の本質であるというこの洞察は、半世紀以上が過ぎた今もなお、日本文化論の白眉として燦然と輝いています。