文壇の巨頭・江藤淳の自死の真相と遺書全文|戦後日本に放った警鐘
文壇の巨頭・江藤淳の自死の真相と遺書全文|戦後日本に放った警鐘の全貌を詳しく解説してご紹介します。
江藤淳の自死を語るうえで、肉体の衰退と並ぶ決定的な要因となったのが、1998年12月に他界した妻・慶子(三浦慶子)の存在です。彼女を末期癌で亡くしたことは、江藤の精神的支柱を完全に叩き折る出来事でした。
江藤はわずか4歳で実母を亡くしており、生涯にわたって「失われた母性」の影を追い求めていました。慶應義塾大学在学中に慶子夫人と出会い結婚して以来、彼女は単なる配偶者を超え、江藤にとって「母性愛の完全な具現化」であり、世界と自分を繋ぎ止める唯一絶対の結界だったといえます。
妻の闘病から死に至る壮絶な日々を記録した最後の手記『妻と私』(1999年刊行)には、妻の肉体が病魔に侵されていく過程で、江藤自身の精神が急速に摩耗していく様子が生々しく刻まれています。「慶子が死ねば、私も死ぬ」という強烈な予感は、書物を通じて読者にも痛いほど伝わっていました。
心理学や精神分析の視点から見れば、江藤淳の精神構造は代表作『成熟と喪失―“母”の崩壊』(1967年)で自ら論じた近代文学の病理と完全に一致しています。母なるものの庇護を失った近代日本の知識人が、自立(成熟)と孤独(喪失)の間で引き裂かれる悲劇を、江藤は自らの肉体と最期をもって体現してしまったと言わざるを得ません。