3.11遺体安置所の真実と現在|極限の検視記録と捜索15年目の現実
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2011年3月11日以降、被災地の体育館や武道館、廃校となった校舎などは次々と臨時遺体安置所へと姿を変えました。沿岸部から次々に搬送されてくるご遺体の数は数百、数千という単位に達し、現場は発災直後から受入能力の限界をはるかに超えていました。当時、現地で活動した関係者の証言や手記によると、暖房が途絶えた氷点下の空間にブルーシートが敷かれ、その上に無数のご遺体が安置されるという、まさに戦時下を思わせる光景が広がっていたと記録されています。
当時、現場を最も苦しめた要因の一つが資材の決定的な不足でした。氷やドライアイスの調達は完全にストップし、棺(ひつぎ)すら手に入らない状況が続きました。時間の経過とともにご遺体の状態変化が進むなか、東日本大震災の遺体安置所における臭気と衛生対策は切迫した課題となりました。自衛隊員や警察官、ボランティアの自治体職員らは、手に入る限りの消臭剤や消毒液を散布し、防塵マスクの内側にハッカ油を塗るなどして悪臭と感染症のリスクに耐えながら、昼夜を問わず作業を続けました。
その最前線で遺体収容任務を担ったのが陸上自衛隊の隊員たちです。瓦礫の山や泥土に埋もれた被災現場からご遺体を発見した際、隊員たちは必ず合掌し、「寒かったですね」「お家に帰りましょう」と語りかけながら毛布で包み込みました。自衛隊の遺体収容記録には、損傷が激しいご遺体に対しても決して雑に扱うことなく、敬礼を捧げて丁重に搬送する姿が克明に残されています。過酷を極める現場で隊員自身の精神的損耗(PTSDリスク)が深刻化するなかでも、「ご遺族のもとへ尊厳を保って送り届ける」という強い使命感が現場を支えていました。
同時に、搬送されたご遺体の検案を担当したのが全国から招集された医師や歯科医師たちです。停電によって薄暗い体育館の中、懐中電灯や発電機の灯りを頼りに、一日に数十体から百体以上におよぶ検案記録を作成し続けました。外傷の有無や死亡推定時刻、着衣の特徴などを細かく記録する作業は、寒さと疲労で指先が凍える過酷な環境下で行われ、極限状態における崇高な医療活動として語り継がれています。