1964年東京五輪の参加国はなぜ93?消えた国と冷戦激動の全真相

1964年東京五輪の参加国はなぜ93?消えた国と冷戦激動の全真相の背景について、専門知識を取りまとめてご紹介します。

1964年10月10日の開会式において、世界のテレビ中継を通じて注目の的となったのが、選手団の入場行進順とプラカードの表記でした。

五十音順で行われた入場行進

オリンピック憲章に基づき、発祥国であるギリシャが先頭、開催国である日本が最後尾を行進することは不変ですが、その間の行進順は1964年東京五輪開会式入場行進順として、日本の五十音(あいうえお順)が採用されました。ギリシャに続いて2番手に入場したのはアイスランド(ア)、次いでアイルランド、アフガニスタンと続き、観客席の日本国民にとっても親しみやすい構成となりました。

台湾代表呼称と中華民国の経緯

この行進で最も政治的緊張を孕んでいたのが、中華民国(台湾)代表団の扱いです。台湾側は自らを「中華民国(Republic of China)」と主張していましたが、IOCは妥協策として英語表記を「TAIWAN」とすることを決定しました。ただし、日本国内の政治的配慮から、入場プラカードには英語で「TAIWAN」、その下に小さく日本語で「中華民国」と併記される異例の形が取られました。

五十音順の行進ルールに従い、台湾代表団は「タ」の順、象徴的な位置で行進を行いましたが、国旗や呼称をめぐるこの摩擦は、のちに1979年の「名古屋決議」によって「チャイニーズ・タイペイ(中華台北)」という呼称が定着するまでの長い論争の序章に過ぎませんでした。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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