ムッソリーニはなぜ逆さ吊りに?遺体晒しの真相と愛人最期の全貌

ムッソリーニはなぜ逆さ吊りに?遺体晒しの真相と愛人最期の全貌とはどのようなものなのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。

1945年春、第二次世界大戦におけるイタリアの敗戦はもはや決定的な局面を迎えていました。連合軍が北イタリアへ進撃を続け、国内各地でレジスタンス勢力が蜂起する中、ナチス・ドイツの傀儡国家「イタリア社会共和国(サロ共和国)」の首班であったムッソリーニは、事実上の権力を完全に喪失していました。

4月25日、ミラノ市内でパルチザンとの降伏交渉が決裂すると、ムッソリーニは愛人クララ・ペタッチや側近たちを伴い、北方のスイス国境を目指して車列で脱出を図ります。これがファシズム崩壊の経緯における最終局面の始まりでした。

4月27日、アルプス山脈の麓に位置するコモ湖畔の町ドンゴ近郊で、車列はイタリア共産党系のパルチザン部隊「第52ガリバルディ旅団」による検問に阻まれます。ムッソリーニはドイツ軍のヘルメットと外套を身にまとい、トラックの荷台で負傷兵を装って身を潜めていましたが、鋭いパルチザン兵士の目を欺くことはできませんでした。特徴的な顎のラインと顔立ちから正体を見破られ、その場で身柄を拘束されたのです。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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