安倍寛とはどんな人物か?東条内閣に挑んだ反骨の経歴と家系図の真相

安倍寛とはどんな人物か?東条内閣に挑んだ反骨の経歴と家系図の真相の詳細について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

安倍寛の国政におけるキャリアは、まさに昭和の動乱そのものでした。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、初当選を果たします。しかし、日中戦争の長期化とともに国内の政治情勢は急速にファシズムへと傾斜していきました。

決定的な舞台となったのが、太平洋戦争下の1942年(昭和17年)4月に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)です。東条英機内閣は軍部支持の候補者を「大政翼賛会推薦」として全面的に支援し、推薦を受けない非推薦候補者に対しては、特別高等警察(特高警察)による監視、演説会の強制解散、選挙ポスターの破棄など、露骨な選挙干渉を行いました。

この過酷な状況下で、安倍寛は大政翼賛会の推薦を断固として拒絶。「大政翼賛会非推薦」の完全無所属として立候補しました。選挙演説において安倍寛は、「軍閥の専横を排し、拝金政治を排撃し、立憲政治を回復すべし」と主張。国民を犠牲にする東条内閣の戦争指導と強権政治を真っ向から批判しました。

警察の妨害によって演説会場の電灯を切られ、集会が中止に追い込まれる中、支援者たちは闇の中でろうそくを灯して安倍寛の言葉に耳を傾けたと伝えられています。結果は、大政翼賛会の推薦候補を抑えて堂々の当選。全国でわずか85名しかいなかった「非推薦当選者」の一人として、歴史にその名を刻みました。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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