久保田早紀から久米小百合へ『異邦人』の光と影と引退の真実
久保田早紀から久米小百合へ『異邦人』の光と影と引退の真実の全体像を詳しく解説してご紹介します。
昭和54年(1979年)10月、CBS・ソニーからリリースされたデビュー曲『異邦人』は、三洋電機のカラーテレビ「くぼみカラー」のCMソングに起用されたことを機に爆発的なヒットを記録しました。オリコンチャートで通算12週にわたり1位を獲得し、売上枚数は公称140万枚を突破。一躍時代の寵児となった久保田早紀(現・久米小百合)ですが、この楽曲の誕生背景には劇的なプロデュースのドラマが存在していました。
もともと彼女が書き下ろした原曲のタイトルは『白い朝』。国鉄中央線(現・JR中央線)の八王子から国立あたりを走る電車から見えた、東京郊外の空き地で遊ぶ子どもたちの日常風景に着想を得た叙情的なフォークソングでした。しかし、CMタイアップがシルクロードを舞台にした映像に決まったことを受け、敏腕ディレクターの酒井政利氏がタイトルを『異邦人』へと改題。さらに名アレンジャー・萩田光雄氏の手によってダルシマーや中近東風のストリングスを配したドラマチックな異国情緒あふれるアレンジへと大胆に刷新されたのです。
自著の手記や当時の特番インタビューにおいて、彼女は「スタジオで萩田先生のアレンジを初めて聴いた瞬間、自分の曲ではないような壮大なスケールに圧倒され、震えるほどの衝撃を受けた」と回想しています。デビュー作の記録的ヒットは、新人シンガーソングライターに莫大な名声をもたらしたと同時に、自らの等身大の音楽性とはかけ離れた「エキゾチック路線の久保田早紀」という強烈なパブリックイメージを決定づけることになりました。