立川談志が遺した「業の肯定」の真相と弟子たちが明かす天才の素顔
立川談志が遺した「業の肯定」の真相と弟子たちが明かす天才の素顔の全体像を分かりやすくまとめてご紹介します。
立川流の歴史は、弟子たちの血の滲むような葛藤の歴史でもあります。現在、演芸界の第一線で巨大なホールを満杯にする看板噺家たちは、談志という巨大な太陽の光と影を一身に浴びて育ちました。
立川志の輔は、談志が「俺の最高傑作」と公言して憚らなかった存在です。新作落語から古典落語の再解釈まで、徹底した論理と温かみのある語り口で現代人に落語を届け、パルコ劇場でのロングラン公演を成功させました。一方、自伝的エッセイ『赤めだか』で師匠との凄絶な日々を描いてベストセラーとなった立川談春は、談志の持つ毒と情愛の二面性を誰よりも間近で目撃し、師匠の芸の骨太なリアリズムを受け継ぎました。また、立川志らくは談志のシニカルな批評精神とアヴァンギャルドな演出センスを継承し、メディアと高座の双方で独自の存在感を放っています。
さらに立川流の特異性は、芸人や文化人を受け入れた「客員・Bコース」の存在にもありました。その筆頭が、ビートたけし(立川錦之助)です。談志とたけしは、昭和の深夜ラジオやテレビ番組の黎明期から互いの才能を認め合い、夜な夜な酒を酌み交わしては芸論を戦わせた盟友でした。たけしは談志の弟子となることで、落語という伝統の深淵に敬意を払い、談志はたけしの持つ圧倒的な批評的笑いに最大の共鳴を示していたのです。