月亭方正の若い頃が超絶イケメン!アイドル時代から落語家への激動史

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月亭方正のキャリアの原点を語るうえで欠かせないのが、NSC在学中に軌保博光(のちにてんつくマンとして活動)と結成したお笑いコンビ「GSX(ガンス)」、そして東京進出に伴い改名した「TEAM-0(チームゼロ)」時代です。1980年代末から1990年代初頭にかけて、彼らは若手お笑い界のホープとして急激に頭角を現しました。

当時のモテエピソードは、後年のバラエティ番組でも共演者によってたびたび暴露されています。劇場出待ちには連日数百人の若い女性ファンが詰めかけ、手作りのプレゼントやバレンタインチョコレートのトラック搬送伝説が生まれたほどでした。自著『僕が落語家になった理由』の中でも、当時の熱狂的な人気について「街を歩けば黄色い声が上がり、自分は特別な存在だと錯覚してしまうほどの狂乱の中にいた」と、若さゆえの過信とともに赤裸々に振り返っています。

ここで多くのネットユーザーが抱く疑問が、「それほどイケメンだったのなら、なぜ吉本男前ランキングで上位を独占しなかったのか?」という点です。調査報道の視点から事実関係を時系列で整理すると、そこには興味深い歴史のタイムラグが存在します。

吉本興業が月刊誌『マンスリーよしもと』で「吉本男前・ブサイクランキング」の公式読者投票を開始したのは2000年のことです。しかし、月亭方正がアイドル的な美男子として絶頂を極めていたTEAM-0時代は1988年〜1993年。つまり、ランキング制度がスタートした2000年時点において、彼はすでに『ガキの使い』等で「リアクション芸人・いじられキャラ」としてのポジションを完全に確立しており、世間の認知も「お笑いに殉じるヘタレキャラ」へとシフトしていました。

その結果、ランキング創設期において彼は「男前」ではなく、むしろ「ブサイクランキング」のトップテン常連(2000年第4位、2001年第6位など)として名前を連ねることになります。「昔は超絶イケメンだったのに、公式ランキングではブサイク枠に甘んじていた」という皮肉なギャップこそが、現在のネット上で「昔の写真を見たら驚愕した」と騒がれる最大の要因なのです。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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