桑名正博の死因と遺産騒動の真相!息子美勇士の現在と名曲の軌跡
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桑名正博は1953年8月23日、大阪市住之江区の由緒ある名家・桑名興業の長男として生を受けました。実家は広大な敷地を持つ材木商で、幼少期から何不自由ない環境で育ったいわゆる「お坊ちゃん」でしたが、その血筋に甘んじることなく、若くしてロックの洗礼を受けます。1972年、伝説的ロックバンド「ファニー・カンパニー」を結成してメジャーデビューを果たし、デビュー曲『スウィート・ホーム・大阪』で一躍脚光を浴びました。当時、関東の雄であった矢沢永吉率いる「キャロル」に対し、「東のキャロル、西のファニカン」と並び称されるほどの熱狂を巻き起こしたことは、日本ロック史における語り草です。
当時の特番インタビューや自著・手記で本人が語っていたように、大阪万博の熱狂に沸くパビリオン周辺で海外カルチャーを貪欲に吸収し、無頼派ロッカーとしてのアイデンティティを確立していきました。1975年以降のソロ活動では、松本隆と筒美京平の黄金コンビが手掛けた『哀愁トゥナイト』、そして1979年にカネボウ化粧品のキャンペーンソングとしてオリコンチャート首位を獲得した『セクシャルバイオレットNo.1』で全国的なトップスターへと上り詰めます。
しかし、桑名正博の真骨頂は単なるヒットチャートの寵児にとどまらない点にありました。下田逸郎が作詞を手掛け、桑名自身が作曲した名曲『月のあかり』(1978年)は、切ない男の哀愁を歌い上げたバラードとして、リリースから半世紀近くを経た現在もカラオケやカバー企画で絶大な支持を集めています。豪快で破天荒なステージングの裏で、私財を投じてカンボジアに学校を建設したり、障害者支援活動をライフワークにしたりするなど、情に厚く困った人間を決して見捨てない「浪速の義理人情」に満ちた素顔が、多くの音楽仲間やファンを惹きつけてやまない理由でした。