共産主義と社会主義の決定的な違い|なぜ理想は崩壊したのか徹底解剖
共産主義と社会主義の決定的な違い|なぜ理想は崩壊したのか徹底解剖の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
1917年のロシア革命によって誕生し、第二次世界大戦を経てアメリカと世界を二分したソビエト連邦。その超大国が1991年12月25日にあっけなく解体された事実は、人類史上最大の社会実験の破綻として刻まれています。なぜ、崇高な理想を掲げた体制は崩壊を免れなかったのでしょうか。
経済学者フリードリヒ・ハイエクが看破した通り、最大の構造的欠陥は「経済計算不可能問題」にありました。自由市場では、数千万種類の商品の価格が「需要と供給」によって一瞬で決定されます。しかしソ連の計画経済では、国家計画委員会(ゴスプラン)のエリート官僚数百人が、パンの価格から鉄鋼の生産トン数、靴のサイズ展開に至るまで、すべての生産割当を机上で決定していました。結果として、市民が求めていない粗悪なトラクターが山積する一方で、トイレットペーパーやバターを求めて市民がマイナス20度の極寒のなか数時間も行列を作るという日常的な供給不足(欠乏経済)が恒常化したのです。
当時のモスクワ市民の回顧録や手記には、次のような生々しい証言が残されています。
「私たちは働くふりをし、国は給料を払うふりをした」
どれほど真面目に高品質な製品を作っても給与は変わらず、怠けても首を切られない体制下で、個人の勤労意欲と創意工夫は根底から削ぎ落とされました。さらに、生産手段を一手に握る党官僚(ノメンクラトゥーラ)層に特権と利権が集中し、平等を謳いながら「支配階級と被支配階級」という過酷な格差が生じる皮肉な結果となったのです。1986年のチェルノブイリ原発事故で露呈した隠蔽体質、泥沼化したアフガニスタン侵攻の軍事費負担、そして原油価格の下落が引き金をとなり、ミハイル・ゴルバチョフ書記長の推進した情報公開(グラスノスチ)と改革(ペレストロイカ)が抑え込まれていた民族対立と不満を爆発させ、連邦崩壊へと雪崩れ込みました。