日本三大七夕祭りの真相|仙台・平塚に続く「3つ目」はどこ?

日本三大七夕祭りの真相|仙台・平塚に続く「3つ目」はどこ?の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

日本全国に七夕祭りが根付いた背景には、奈良時代に中国から伝来した宮中行事「乞巧奠(きっこうでん)」と、日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)」の信仰が融合したルーツがあります。しかし、「三大」と呼ばれる規模へ昇華した現場には、それぞれの都市が歩んだ固有のドラマが存在します。

仙台七夕 見どころの源流は、仙台藩祖・伊達政宗公の文化政策に遡ります。政宗公が子女の技芸向上と田畑の豊作を願って奨励したのが始まりとされ、江戸時代から庶民の間に浸透しました。仙台七夕の真髄は、手作りの和紙によって作られる「七つ飾り」にあります。

短冊(たんざく)学問や書道の上達を願う紙衣(かみごろも)病気や災難の身代わり、裁縫の上達折鶴(おりづる)家内安全と延命長寿巾着(きんちゃく)富貴と貯蓄、商売繁盛投網(とあみ)豊漁と豊作屑籠(くずかご)清潔と倹約、モノを粗末にしない心吹き流し(ふきながし)織姫の織り糸を表し、機織りの上達を祈願

一方、平塚、安城、一宮の3都市に共通するのは「戦後復興」という強烈なエネルギーです。平塚市は1945年7月の平塚大空襲により市街地の約7割を焦土と化しました。壊滅的な打撃を受けた街を復興させる起爆剤として、1951年に仙台の七夕をモデルに開始されたのが湘南ひらつか七夕まつりです。飾りの中に電球を仕込み、夜間にも光り輝く構造は平塚が発祥とされ、夜の賑わいを生み出しました。

安城市もまた、昭和20年代の産業振興策として商店街有志が立ち上がったのが端緒です。農業先進地として「日本デンマーク」と呼ばれた安城が、商業の求心力を高めるために選んだのが七夕でした。対する一宮市は、毛織物(尾州ウール)の好況に沸くなかで、「織物の街としての感謝」を真清田神社(ますみだじんじゃ)の祭礼と結びつけました。このように、伝統美の仙台、復興精神の平塚、商店街の団結から昇華した安城、産業祭祀の一宮という、まったく異なる日本三大七夕祭り 歴史と由来が交錯しています。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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