19世紀末から3B政策を展開した国はどこ?ドイツの狙いと大戦の真相を徹底解説

19世紀末から3B政策を展開した国はどこ?ドイツの狙いと大戦の真相を徹底解説の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

3B政策を理解する上で避けて通れないのが、当時の覇権国家イギリスが敷いていた3C政策との対比です。19世紀末の国際政治は、この「新興国ドイツの横軸(東進)」と「覇権国イギリスの縦軸(アフリカ縦断+アジア)」の利権が真っ向から交差したことで、決定的な緊張状態へ突入しました。

両国の政策構造の違いと衝突要因について、客観的なデータを交えて整理した比較表が以下となります。

比較項目ドイツ帝国の「3B政策」イギリス帝国の「3C政策」編集部の地政学的分析主要拠点ベルリン、ビザンティウム、バグダードカイロ、ケープタウン、カルカッタヨーロッパから東方へ延びる陸路 vs 海洋帝国のアフリカ・アジア包囲網主導者・開始期皇帝ヴィルヘルム2世(1890年代後半〜)セシル・ローズ/ソールズベリー侯(1880年代〜)先行して世界を分割していた英国に対し、後発のドイツが強硬に割り込んだ構図交通輸送の主軸バグダード鉄道(大陸横断鉄道)スエズ運河+ケープ航路+蒸気船ネットワーク英国の海上覇権を脅かす「陸上動脈」の登場にロンドン政府は強い危機感を抱いた国家の戦略目的中東市場の独占、石油資源、オスマン支援「帝国の至宝」インド防衛、アフリカ縦断支配ペルシア湾へドイツが進出することは、英国にとってインド支配への直撃弾を意味した衝突した相手国イギリス(海洋)、ロシア(バルカン・海峡)フランス(ファショダ事件)、ドイツ(中東)3B政策は英仏露の利害を同時に刺激し、三国協商を結成させる最大の触媒となった

イギリスにとって最大の生命線は、莫大な富を生み出す植民地インド(カルカッタ)でした。スエズ運河を擁するエジプト(カイロ)と、アフリカ南端の拠点(ケープタウン)を押さえることで海上ルートを完璧に防衛していた大英帝国に対し、ドイツの3B政策はペルシア湾からインド洋へと直接銃口を突きつける軍事的脅威そのものだったのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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