藤本敏夫の生涯と死因|加藤登紀子との獄中結婚、家族の現在を徹底検証

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二人の出会いは、学生運動が激しさを増していた1968年に遡ります。東京大学出身のインテリ歌手として脚光を浴びていた加藤登紀子と、学生運動のリーダーとして追われる身だった藤本敏夫。ある学生集会での講演をきっかけに言葉を交わした二人は、互いの魂の奥底にある「既存の権威に対する反骨心」に強く共鳴し合いました。

しかし、二人の前途には厳しい現実が待ち受けていました。起訴された藤本の実刑判決が確定し、収監されることが決まったのです。世間が最も衝撃を受けたのは、藤本が府中刑務所に収監されていた1972年5月、二人が正式に婚姻届を提出したことでした。当時、人気絶頂にあった歌姫が「服役中の活動家」と結ばれるというニュースは、芸能界や大手マスコミから猛烈なバッシングを浴びました。

なぜ獄中結婚という異例の道を選んだのか。加藤登紀子が当時の特別インタビューや自著で明かした告白によれば、収監直前に彼女の妊娠が判明していました。周囲からは中絶や引退を強く勧められましたが、加藤の決意は揺らぎませんでした。

「彼が鉄格子の向こうにいるからといって、外で一人で子どもを産み育てる悲劇のヒロインになるつもりはなかった。私たちは対等な人間として、どんな状況でも家族として生きる覚悟を決めた」という手記の言葉通り、それは世間への当てつけでも刹那的な同情でもなく、極限状態における精神的自立と信頼の結実だったのです。同年12月には長女が無事に誕生し、藤本は獄中で父親となりました。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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