死の踊りはなぜ生まれた?ペストの恐怖と骸骨が躍る歴史の真相
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クラシック音楽において「死の踊り」を語る上で欠かせないのが、フランツ・リストとカミーユ・サン=サーンスという2人の天才が残した傑作です。彼らは視覚的だった骸骨の狂宴を、驚くべき発想で音響化しました。
サン=サーンス:変則調弦のヴァイオリンと木琴が暴く「午前0時の宴」
カミーユ・サン=サーンスの交響詩『死の舞踏』(作品40)は、詩人アンリ・カザリスの戯詩に基づいています。詩には次のような不気味な一節があります。
「ジグ、ジグ、ジグ、死神が踵で墓石を叩く。死神が真夜中に奏でるのは舞踏の調べ。冬の風が吹きすさび、菩提樹の梢が呻く。白骨の骸骨たちが、暗闇から這い出して踊る……」
サン=サーンスはこの情景を描写するため、オーケストレーションに前代未聞の仕掛けを施しました。ハープが午前0時を告げる12回の鐘を鳴らし終えると、独奏ヴァイオリンが不気味な旋律を弾き始めます。このヴァイオリンは通常「ミ(E)」である最高弦を半音下げて「変ホ(E♭)」に調弦(スコルダトゥーラ)されており、開放弦で弾くだけで中世において「音楽の悪魔(Diabolus in musica)」と忌み嫌われた三全音(トライトーン)が響く設計になっています。
さらに、オーケストラ史上初めて本格的に採用されたシロフォン(木琴)の乾いた打撃音は、寒空の下で踊り狂う骸骨たちの骨と骨がカチャカチャとぶつかり合う音そのものです。宴は激しさを増しますが、夜明けを告げるオーボエの雄鶏の鳴き声が響いた瞬間、亡霊たちは蜘蛛の子を散らすように墓穴へと逃げ戻り、静寂が戻ります。1875年の初演時、聴衆の一部はその露骨な不協和音と奇怪さに眉をひそめたと伝えられますが、やがてその卓越した管弦楽法は世界中を熱狂させました。
フランツ・リスト:『怒りの日』を解体する圧倒的打鍵の衝撃
一方、ピアノの魔術師フランツ・リストの『死の舞踏』(S.126)は、さらに重厚で悪魔的な迫力を帯びています。リストはイタリア・ピサの墓所カンポサントを訪れた際、14世紀の壮大なフレスコ画『死の勝利』を目にして戦慄し、本作の着想を得たと伝えられています。
リストが曲の骨格に据えたのは、死者のための典礼(レクイエム)で歌われるグレゴリオ聖歌『怒りの日(ディエス・イレ)』の旋律です。重低音のオーケストラがこの不穏な主題を提示すると、ピアノはまるで打楽器のようにクラスター(音塊)を叩きつけ、半音階の嵐と超絶技巧の変奏を繰り広げます。教会音楽の厳粛な旋律を悪魔的な超絶技巧で解体・再構築するリストの筆致は、死の圧倒的な破壊力と、それに抗いようのない人間の小ささを暴力的なまでの音響で叩きつけてきます。