ホンダを世界企業へ導いた藤沢武夫|本田宗一郎との絆と電撃引退の全貌
ホンダを世界企業へ導いた藤沢武夫|本田宗一郎との絆と電撃引退の全貌の注目されている理由を専門的かつ分かりやすくまとめました。全体像を一目で把握できます。
藤沢武夫の最大の功績の一つが、本田技術研究所の独立です。1960年、藤沢は本田技研工業本体から研究開発部門を分離し、別会社として独立させました。これは当時の日本企業では前例のない大胆な組織改革でした。
「目先の売上や経費節減に追われていては、10年後の世界を驚かせる技術は生まれない」。藤沢はそう考え、研究者が資金繰りや経営陣の顔色を窺うことなく、純粋に技術革新へ没頭できる環境を制度として設計しました。役職ではなく研究開発の成果を評価する「専門職制度」の導入も、藤沢の発案によるものです。
また、1959年には早くもアメリカ現地法人「アメリカン・ホンダ・モーター」を設立。海外進出においても、現地代理店任せにせず自前で販売・サービス網を敷く方針を貫き、北米市場での確固たる地位を築きました。宗一郎という天才が全開で腕を振るえる舞台装置を、藤沢は寸分の狂いもなく作り上げたのです。