広島藩42万石の激動史!福島改易から幕末長州征討の決断まで徹底解説

広島藩42万石の激動史!福島改易から幕末長州征討の決断まで徹底解説に関する最新の話題を詳しく解説いたします。

日本人の間で広く親しまれている『忠臣蔵』ですが、事件を起こした赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と広島藩浅野家の血縁関係は、世間一般であまり知られていません。赤穂藩浅野家は、広島藩初代・浅野長晟の弟である浅野長重から始まる「分家」にあたります。石高は5万3000石であり、本家である広島藩42万石に対して弟筋の分家という明確な上下関係がありました。

元禄14年(1701年)、江戸城松之大廊下での刃傷事件により浅野内匠頭が即日切腹となり赤穂藩が改易されると、広島本家には激震が走りました。本家の第4代藩主・浅野綱長は、幕府からの連座処分を回避するため、徹底して公儀に従う姿勢を示します。赤穂城明け渡しの際には、幕府の命により広島藩からも軍勢や正使が現地へ派遣されました。

一方で、討ち入りを指揮した筆頭家老・大石内蔵助良雄の親族には広島藩士も多く、本家側は水面下で浪士たちの過激な暴発を警戒しつつも、赤穂浅野家の家名再興(内匠頭の実弟・浅野大学の処遇)に向けて幕府要人への工作を続けました。討ち入り決行後、幕府は浪士たちへの助命を認めず切腹を命じましたが、広島藩本家はお咎めを受けることなく家名を保ちました。感情に流されず冷徹に徳川宗家への忠誠を貫いた広島本家の危機管理が、浅野42万石を破滅から守ったといえます。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest