空を覆う蝗害の真実!群生相の狂暴化と食糧危機リスクを徹底解剖
空を覆う蝗害の真実!群生相の狂暴化と食糧危機リスクを徹底解剖の基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。
歴史を紐解けば、蝗害は単なる虫害の枠を越え、幾度となく国家の命運を粉砕してきました。とりわけ広大な平原と乾燥地帯を抱える中国大陸において、その歴史的爪痕は凄まじいものがあります。
古代中国では、旱魃(かんばつ)・水害と並び、蝗害は「国家の三大災害」と恐れられてきました。漢字の成り立ちを振り返ると、「蝗」の字は「虫」に「皇」と書きます。これは作物を食い尽くすこの虫を防ぎ、人民を飢餓から救えるかどうかに皇帝の統治生命がかかっていたことに由来するという説があるほど、政治の根幹と直結していたのです。北宋の大文豪・蘇軾(そしょく)は、その凄惨な光景を『飛蝗来時半天黒(飛蝗来たる時、天の半ば黒し)』と書き残しました。飛来すれば太陽光が遮られて白昼が闇に包まれ、通り過ぎた後は草木も作物の茎も一切消え失せ、残されるのは累々たる餓死者の山でした。後漢末期の動乱や唐の滅亡、明末の農民反乱の背景にも、度重なる大規模な蝗害とそれに伴う大飢饉が存在していました。
この蝗害の恐怖と緻密な防除戦略を、東洋風の架空宮廷劇の中で極めて正確に描き出して大きな話題を呼んだのが、大人気作品『薬屋のひとりごと』です。作中で主人公の猫猫(マオマオ)らが直面する蝗害のエピソードは、歴史愛好家や昆虫学者からも「極めて史実に忠実で科学的な描写」として絶賛されました。
作中では、大群が飛び立つ前の「土中の卵を掘り起こして駆除する段階」の重要性や、幼虫の移動経路に深い溝を掘って埋め殺す物理的防除、さらには農民への買い取り奨励策や食糧備蓄の差配など、前近代において人類が培ってきたリアルな防除戦術が綿密に描かれています。「成虫になって空を舞ってからでは、いかなる軍隊も太刀打ちできない」という作中の冷徹な現実は、過去の農民たちが血の涙を流しながら痛感した歴史的真実そのものです。
では、海に囲まれた日本はどうだったのでしょうか。古代の正史『日本後紀』には、弘仁年間(平安時代初期)に飛蝗の被害が朝廷へ報告された記録が残されています。また、江戸時代に西日本を襲った享保の大飢饉では、ウンカの大発生による稲枯れが主因でしたが、バッタによる食害も複合して大惨事となりました。
日本における最も記録に残る近代蝗害は、明治初期(1880年代)の北海道で起きたトノサマバッタの大発生です。十勝地方の原野で乾燥期に大量増殖したバッタが群生相化し、日高山脈を越えて札幌や胆振地方へ襲来。開拓民が血汗を流して切り拓いたデンプン原料のジャガイモやトウモロコシ畑が一夜にして茎まで食い尽くされ、開拓使の計画を根底から狂わせました。政府は軍隊や囚人を動員し、溝を掘ってバッタを追い落とし、石油を撒いて焼き払うという死闘を演じた記録が残されています。