笑点を愛し抜いた六代目三遊亭円楽|歌丸との絆と闘病の真相に迫る
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六代目三遊亭円楽(本名:會泰通=あい やすみち)の歩みは、従来の落語界の徒弟制度から見れば異色ともいえる華やかなスタートだった。東京都墨田区出身で、青山学院大学法学部在学中に五代目三遊亭圓楽にスカウトされ、1970年に入門。前座名「楽太郎」を名乗り、甘いマスクと知的な語り口から「落語界の貴公子」と称されて瞬く間に脚光を浴びた。
『笑点』への抜擢は1977年8月、弱冠27歳のときである。当時の司会者だった四代目三波伸介がその才気を見出し、三遊亭好楽(当時は林家九蔵)らとともにレギュラーに加わった。当初は若手らしいクリーンなインテリキャラとして売り出していたが、大御所がひしめく大喜利の席で個性を際立たせるため、自ら選び取ったのが「腹黒」「インテリ毒舌」というヒール(悪役)の立ち位置だった。
自身の著書や生前のインタビュー資料によると、六代目円楽は自らのキャラクターについてこう述懐している。
「大喜利はアンサンブル。誰かが汚れ役を買って出なきゃ、善人が引き立たない。俺がインテリぶって黒いことを言うから、歌丸師匠の怒りが活き、木久扇師匠のおとぼけが光るんだ」
この徹底した自己プロデュースと番組全体のバランス感覚こそが、半世紀近くにわたり笑点の屋台骨を支える基盤となった。