山本由伸の高校時代と甲子園の真相|都城から世界最強へ登り詰めた軌跡
山本由伸の高校時代と甲子園の真相|都城から世界最強へ登り詰めた軌跡の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
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都城高校野球部に入部した山本投手は、1年生の春から早くもベンチ入りを果たします。1年秋には本格的に投手専任となり、2年春にはエースナンバーを背負うまでに成長しました。
高校時代の山本投手を語るうえで欠かせないのが、2年秋の九州大会県予選(新人戦)で見せたノーヒットノーランの快挙です。2015年10月、鵬翔高校を相手に圧巻の無安打無得点試合を達成。球速もコンスタントに140キロ台後半を計測し、九州球界にその名が轟くこととなりました。さらに翌年春の九州大会では最速151キロをマークし、NPBのプロスカウト陣が一斉に視察へ訪れる超注目株となったのです。
これほどの実力を誇りながら、なぜ甲子園の土を踏むことができなかったのでしょうか。そこには高校野球特有の過酷なトーナメントとアクシデントがありました。
高校3年生の夏、第98回全国高等学校野球選手権宮崎大会。都城高校は優勝候補の一角として臨みましたが、山本投手は直前に右肘の強い張り・違和感を発症していました。万全ではないコンディションのなか登板を続けたものの、3回戦でその年の宮崎代表となる強豪・日南学園高校と激突。0-2で惜敗し、山本投手の高校野球は終わりを告げました。
「甲子園に行けなかった悔しさ」は、山本投手にとって大きなバネとなりました。全国中継で脚光を浴びる同世代のスターたちを横目に、彼はプロの世界で頂点を極めるための肉体改造と基礎トレーニングに黙々と打ち込むことになります。