中国史上最も残酷な処刑法「凌遅刑」の実態と廃止に至る真相

中国史上最も残酷な処刑法「凌遅刑」の実態と廃止に至る真相にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

凌遅刑は遠い古代の神話や伝説ではありません。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、発明されたばかりの写真技術(写真乾板)によって、その実際の執行風景が克明に視覚記録として残されています。

当時、清朝末期の北京や天津などの大都市には、アヘン戦争や義和団の乱を経て多くの西洋人外交官、軍人、写真家が駐留していました。彼らは公開処刑の場に足を運び、カメラのレンズを向けたのです。現在もフランス国立図書館などに保管されている一連の写真には、柱に縛り付けられた罪人と、それを取り囲む群衆、そして淡々と肉を削ぎ落とす刑吏の姿が写し出されています。

記録に残る著名な最後の執行例の一つが、1905年4月9日に行われた蒙古人の召使い・符珠哩(フチュリ)の処刑です。彼は自身の雇い主であったモンゴル王族(アオハン旗の郡王・特穆爾)を殺害した罪により、北京の市場(菜市口処刑場)で凌遅刑に処されました。

この時の写真はフランスの社会学者ジョルジュ・バタイユをはじめとする思想家たちにも強い衝撃を与え、人間の残酷性とエロティシズム、死の恍惚を論じる哲学的な題材としても世界的に知られることになりました。これらの写真は、東洋の専制君主制が維持してきた恐怖政治の生々しい証拠として、西洋社会を震撼させたのです。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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