信長が最も信頼した男・滝川一益|神流川の激闘と清洲会議の真相

信長が最も信頼した男・滝川一益|神流川の激闘と清洲会議の真相の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。

戦国史において、織田軍団の精鋭を率いた武将たちの中でも、滝川一益の戦術眼と機動力は群を抜いていました。兵の間で囁かれた「進むも滝川、退くも滝川」という異名は、攻城戦での先鋒としての突破力と、殿軍(しんがり)を務めた際の卓越した撤退指揮の双方で味方を救い続けた実績に由来します。

信長との主従関係は極めて強固でした。尾西・北伊勢の平定、長島一向一揆の鎮圧、長篠の戦いにおける鉄砲隊の統括、さらには九鬼嘉隆を率いた第二次木津川口の戦いでの「鉄甲船」建造支援など、陸海を問わず重要局面には常に一益の姿がありました。信長は一益の合理的な軍事思想と実行力を高く評価し、武田氏滅亡後の天正10年(1582年)3月、上野一国および信濃二郡という広大な要衝を与え、厩橋城(前橋城)を本拠に関東諸将を統括する「東国司令官(事実上の関東管領)」に大抜擢したのです。

この大抜擢の裏には、一益の人間性を物語る有名な逸話が残されています。東国へ下向する際、一益は信長に対し、領地ではなく天下の名物茶器「珠光小茄子(じゅこうこなす)」の拝領を強く望んだと伝えられます。しかし信長から下されたのは領地と関東の軍事指揮権でした。一益は知友への書状で「遠国へ赴くことになり、茶の湯の数寄も叶わなくなった」と無念を吐露しており、武将としての栄達の裏にあった知識人・文化人としての素顔を覗かせています。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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