古代日本の葬送「殯(もがり)」とは?死を悼む儀礼の真相と現代への系譜
古代日本の葬送「殯(もがり)」とは?死を悼む儀礼の真相と現代への系譜の背景について、専門知識を詳しくお届けします。
殯の儀礼が最も大規模かつ厳格に執り行われてきたのが皇室です。天皇が崩御された際、御遺体を一時的に安置する場所を「殯宮(もがりのみや)」と呼び、古代から連綿と特別な儀式が営まれてきました。
古代の皇室において、殯宮は単なる喪の場にとどまらず、「次代の権力者が正統性を内外に示す政治的空間」でもありました。大化の改新(645年)前後の飛鳥時代、天皇が崩御すると、皇太子や有力豪族は殯宮に侍り、昼夜を問わず儀式を執り行いました。そこで読まれる「誄(しのびごと=死者の生前の功績を讃える辞)」を誰が奏上するか、誰が殯宮の警護を掌握するかが、次期皇位継承権の正当性を証明する決定的な鍵となったのです。
例えば、『万葉集』には額田王や柿本人麻呂らによる数々の壮麗な「挽歌(ばんか)」が残されていますが、これらは殯宮で詠じられた公式の儀礼歌でした。殯宮の張り詰めた空気の中で、死せる大王への追悼を歌い上げる行為そのものが、国家の秩序を再構築するための公的事業だったのです。
飛鳥時代の斉明天皇や天智天皇の時代には、殯の期間が1年以上に及んだ記録が残っています。その後、仏教の伝来や火葬の普及(持統天皇の火葬など)、律令制の整備に伴って殯の期間は次第に短縮されていきましたが、皇室の伝統儀礼として「殯宮の儀」は近代以降も形式を整えながら継承されています。昭和天皇崩御の際にも、大喪の礼に至るまでの期間、宮殿内に殯宮が設けられ、連日にわたって厳かな儀礼が執り行われました。