山本由伸の高校時代に隠された「3つの秘密」が世界最強を作った
山本由伸の高校時代に隠された「3つの秘密」が世界最強を作ったの概要と注目ポイントを徹底的にカバーしました。
高校入学時、山本の球速は120km/h台後半から130km/h程度と、決して抜きん出たスピードボールを持っていたわけではありません。ところが、2年生を迎える頃には140km/hを突破し、2年秋には150km/hの大台に迫り、最終的には高校時代の最速球速として151km/hを記録するに至ります。この短期間での驚異的な球速急上昇には、ある重大なアクシデントが深く関わっていました。
それが、高校2年春に直面した故障・肘の怪我歴です。球速アップに伴い腕に過度な負担がかかっていた山本は、右肘に違和感を覚え、靭帯損傷の一歩手前とも言えるコンディションの悪化に見舞われました。通常の高校球児であれば、無理を押して投げ続けるか、長期離脱に焦りを募らせてフォームを崩すところです。しかし、恩師である森松吉彦監督の徹底した管理のもと、山本はノースロー期間を「身体の使い方を根本から変える好機」へと転換させました。
腕の力や反動に頼ってボールを投げることを完全に捨て、胸郭の柔軟性、股関節の連動、背骨のしなりを極限まで活用する投球メカニズムの構築に着手。ブリッジ運動や柔軟体操を徹底的に反復し、全身の関節を連動させるキネティックチェーン(運動連鎖)を体得していきました。
怪我の恐怖を克服する過程で生まれたこの投球フォームの変化こそが、テイクバックが小さく打者から球の出所が見えにくい、現在の革新的フォームの原型です。怪我がなければ、力任せに腕を振る剛腕止まりで終わっていたかもしれない――。挫折を技術革新のトリガーに変えた知性こそが、彼の真の才能でした。