四国艦隊下関砲撃事件はなぜ起きた?長州藩壊滅の危機と高杉晋作の講和

四国艦隊下関砲撃事件はなぜ起きた?長州藩壊滅の危機と高杉晋作の講和とはどんな影響があるのか? 専門的な分析を簡潔に解説します。

完膚なきまでに叩きのめされた長州藩は、停戦交渉の全権を高杉晋作に託します。当時、高杉は藩の主流派から疎まれ脱藩の罪で投獄されていましたが、非常事態を受けて家老格へと抜擢され、表舞台に呼び戻されました。

高杉は講和使節として連合艦隊旗艦「ユーライアラス号」に乗り込み、堂々たる態度で交渉に臨みます。この席で連合国側は、以下のような厳しい条件を突きつけました。

  • 関門海峡の外国船通航の自由と薪水・食料の補給
  • 沿岸の砲台の撤去および新設の禁止
  • 下関海峡に浮かぶ要衝「彦島(ひこしま)」の租借
  • 莫大な戦費賠償金の支払い(300万ドル)

ここで高杉が断固として拒絶したのが「彦島租借」でした。もし彦島を外国の管理下に置かれれば、アヘン戦争後の香港と同じく、日本が植民地化される足がかりになりかねません。高杉は『古事記』を引用した長大な講釈を展開して相手を煙に巻き、領土割譲につながる要求を一切呑みませんでした。

さらに高杉は、「外国船への砲撃は藩独自の意思ではなく、幕府(朝廷)の命に従ったまでである」と主張。この巧みな論理付けにより、300万ドルという巨額の賠償金支払いの責任を江戸幕府へと押し付けることに成功したのです。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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