旧鯛ノ浦教会と被爆鐘の謎|潜伏キリシタンの記憶を巡る徹底解剖
旧鯛ノ浦教会と被爆鐘の謎|潜伏キリシタンの記憶を巡る徹底解剖にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
旧鯛ノ浦教会を語るうえで、誰もが息を呑む事実があります。境内の一角にある鐘楼に吊るされている鐘こそ、1945年8月9日の原爆投下で崩壊した長崎・浦上天主堂の瓦礫から掘り出された「被爆鐘」そのものであるという点です。
当時、東洋一の威容を誇った浦上天主堂の双塔には、フランス・長崎信徒の絆を象徴する2つのアンジェラスの鐘が存在していました。原爆の凄まじい爆風と熱線により天主堂は全壊。鐘楼もろとも崩落した鐘のうち、ひとつは粉々に砕け散り、もうひとつは奇跡的に原形を留めた状態で土砂の中から掘り起こされました。この掘り出された鐘こそが、永井隆博士の著書『長崎の鐘』のモチーフとなったことでも知られています。
では、なぜその聖なる遺産が、遠く離れた五島列島の鯛ノ浦へと運ばれたのでしょうか。地方史編纂資料や地元カトリック関係者の証言を丹念に紐解くと、そこには江戸時代末期から続く「浦上と五島の血縁的・信仰的共鳴」が存在していました。
1797年、大村藩の過酷なキリシタン探索と生活困窮から逃れるため、浦上村のキリシタン農民約100家族が五島開拓団として海を渡りました。鯛ノ浦周辺にも浦上ルーツの信徒が数多く移住し、荒れ地を切り拓きながら秘密裏に信仰を守り抜いたのです。彼らにとって浦上は「信仰の母なる大地」であり、親族が暮らす魂の故郷でした。
終戦後、浦上天主堂が再建へと歩みを進める1949年、鯛ノ浦教会でも増改築とともに念願の鐘楼(鐘塔)が新設されることになりました。被爆によって家族も聖堂も失い、塗炭の苦しみに喘ぎながらも立ち上がろうとする浦上の信徒コミュニティは、「五島崩れの拷問に耐え、信仰を貫いた鯛ノ浦の兄弟姉妹へ、復活と平和のシンボルとしてこの被爆鐘を託そう」と決断したのです。原爆の熱線を受けながらも澄んだ音色を響かせる鐘は、長崎と五島を結ぶ苦難と希望の架け橋として、この静かな港町へ迎え入れられました。