巨大財閥・住友家の知られざる血脈!400年の興亡と現代の肖像
巨大財閥・住友家の知られざる血脈!400年の興亡と現代の肖像に関する専門家の意見を分かりやすく解説いたします。
江戸中期以降、住友家の当主は代々「住友吉左衛門」の名を襲名し、一族の長として采配を振るった。その富の源泉となったのが、1690年に愛媛県で発見された別子銅山である。標高1000メートルを超える険しい四国山地で開発されたこの鉱山は、以後280年余りにわたり銅を産出し続け、住友の屋台骨であり続けた。
明治維新の混乱期、幕府の庇護を失った別子銅山は差し押さえの危機に陥る。この窮地を救ったのが、初代総理人となった広瀬宰平や、その甥である伊庭貞剛といった名番頭たちだ。近代機械を導入して生産性を劇的に向上させる一方で、煙害問題に直面した際には、巨額の私財を投じて製錬所を沖合の無人島・四阪島へ移転。さらに「荒れ果てた別子の山を元の緑に戻す」として、毎年100万本以上の植林を敢行した。
自然から富を得たならば、自然に恩を返さなければならない。近代の歴代住友吉左衛門と番頭たちが貫いたこの環境思想と地域共生は、現代のESG経営の先駆けとして世界的な評価を受けている。