朝ドラ『マッサン』モデルの実話!竹鶴政孝とリタの衝撃史実を徹底解剖
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寿屋との10年契約を満了した政孝が、1934年(昭和9年)に新天地として選んだのが北海道の余市町でした。ウイスキー製造には、冷涼で湿潤な気候、ピート(泥炭)の埋蔵、豊富で清らかな軟水、そして清浄な空気という4つの条件が不可欠です。政孝にとって余市は、グラスゴーのキャンベルタウンを想起させる理想郷そのものでした。
しかし、ウイスキーは原酒を樽に詰めてから出荷できるようになるまで、最低でも数年以上の熟成期間を要します。その間の運転資金を稼ぎ出すために設立されたのが「大日本果汁株式会社」でした。余市特産のリンゴを使った100%果汁ジュースを販売したものの、無添加・無着色にこだわった本物志向が仇となり、果汁の混濁や沈殿を理由に大量の返品が発生。会社はたちまち倒産の危機に瀕します。
この窮地を救ったのが、政孝の技術に惚れ込んだ投資家たちでした。そして1940年(昭和15年)、ついに発売にこぎ着けた第一号ウイスキーは、社名の「日」「果」を取って「ニッカウヰスキー」と名付けられました。
さらに歴史の皮肉というべき事実が、同年秋に太平洋戦争へと突入していく時代背景です。ウイスキーをはじめとする洋酒の輸入が完全にストップしたことで、国内の軍部から国産ウイスキーの需要が急騰。余市蒸溜所は海軍指定工場となり、大麦の優先配給を受けることになりました。軍用酒としての需要が、創業間もないニッカの経営基盤を皮肉にも強固なものにしたという事実は、戦史と産業史が交錯する余市蒸溜所の隠された真実です。