早起きは三文の徳の由来を徹底追究|奈良の鹿と中国故事の真相
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一方、日本独自の民間伝承として江戸時代から語り継がれているのが、奈良の鹿の伝承に端を発する江戸時代の三文罰金説だ。早起きは三文の徳の真相を追究する上で、観光地・奈良に伝わるエピソードは外せない。
古来、春日大社の神使として尊崇を集めていた奈良の鹿は、江戸幕府下でも手厚く保護されていた。当時の奈良奉行所による「鹿殺し」に対する処罰は苛烈を極め、過失致死であっても死刑や重い追放刑が科された記録が残る。春日大社の古文書や当時の町中記録によると、朝起きて自分の家の前で鹿が病死あるいは行き倒れていた場合、家主は即座に連帯責任を問われるリスクを背負っていた。
そこで奈良の町人たちは、夜明け前の薄暗い時間帯に競うように起き出し、自宅の軒先に鹿が倒れていないかを確認した。もし鹿が息絶えていれば、役人が巡回に来る前に隣家の敷地前へと死骸をこっそり引きずって移動させたという。この「隣へ鹿を押し付け合う」という奇妙な自衛策から、誰よりも早く起きる習慣が根付いたと伝えられる。
後世の俗説では「鹿を死なせた際の過料(罰金)が三文だった」と脚色されて流布したが、実際の一命を左右する刑罰から見れば「三文」はあまりに小額である。実際には、後述する少額貨幣の比喩が混ざり合い、「早起きをしなければ三文の罰金を払う羽目になる(=早起きすれば三文浮く)」という庶民的な笑い話へ転訛したと考えるのが民俗学上の妥当な見解だ。