住宅街に佇む国指定重文!川口市「木曽呂の富士塚」と胎内くぐりの謎
住宅街に佇む国指定重文!川口市「木曽呂の富士塚」と胎内くぐりの謎の要点を詳しく解説してご紹介します。
木曽呂の富士塚の歴史は、江戸後期の寛政12年(1800年)にまで遡ります。当時、江戸や関東一円で爆発的な広がりを見せていたのが、富士山を神仏の宿る霊峰として崇める「富士講」でした。本物の富士山へ参拝登山することは時間的・経済的な負担が大きかったため、庶民が身近に登拝体験を行える場として各地に富士塚が築かれました。
木曽呂の地で中心的な役割を果たしたのが、富士講の一派である「丸吉講(まるきちこう)」であり、その有力な先達(指導者)であった地元の名主・蓮見兵右衛門(はすみひょうえもん)です。兵右衛門は講員たちと力を合わせ、村の安寧と現世利益、そして富士登拝の功徳をすべての人が得られるよう、私財と労力を投じてこの塚を完成させました。
民間信仰の確固たる証拠として築造年代や造営主体が明確であり、江戸後期の信仰形態を忠実に留めている点が学術的にも高く評価され、昭和55年(1980年)に国の重要有形民俗文化財へ指定されました。