相川七瀬『夢見る少女じゃいられない』歌詞の真意と伝説の誕生秘話
相川七瀬『夢見る少女じゃいられない』歌詞の真意と伝説の誕生秘話の総合ガイドをお届けします。最新トレンドが詰まっています。
相川七瀬と織田哲郎の出会いは、順風満帆なスカウトではありませんでした。中学3年生(当時15歳)の時、ソニー・ミュージック主催のオーディションに応募したものの落選。しかし、審査員席にいた織田哲郎が彼女の放つ異質な眼光と存在感を見抜き、「あの子には何かがある」と声をかけたことが運命の分岐点となります。
その後、レッスンやデモテープ制作を重ねながら約5年間の潜伏期間を経て、満を持してエイベックス傘下の新レーベル「motorod」第1弾アーティストとしてデビューを果たしました。織田哲郎は当時の取材で「普通のポップスを歌わせても意味がない。彼女自身の危うさとロックの攻撃性をそのままパッケージする」と語っており、商業主義に迎合しない制作方針を徹底したことが記録されています。
デビュー翌年の1996年には、シングル『LIKE A HARD RAIN』『BREAK OUT!』などの連打ヒットを経て、第47回NHK紅白歌合戦に初出場を達成。赤と黒を基調としたパンクファッションでNHKホールのステージに立ち、『夢見る少女じゃいられない』を演奏したシーンは、90年代女性ロックの歴史が動いた決定的な瞬間でした。