沖縄「旧海軍司令部壕」が伝える衝撃の真実と見学完全ガイド

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沖縄の戦跡を巡るうえで、那覇市南東に隣接する豊見城市の旧海軍司令部壕は特異な位置を占めています。1944年末、米軍の上陸に備えて日本海軍設営隊によって掘削されたこの地下壕は、小禄飛行場(現・那覇空港)を守備するために標高74mの火番森(ヒバンムイ)地下に構築されました。カッターやツルハシを用い、硬い泥岩層を手作業で掘り進めた坑道は、網の目のような迷路構造を成しています。

1945年4月に米軍が沖縄本島に上陸後、首里城地下の陸軍第32軍総司令部が南部への撤退を決断するなか、海軍部隊は小禄地区に孤立。同年6月初頭には米海兵隊の猛攻を受け、海軍壕周辺は包囲されました。沖縄の旧海軍司令部壕の歴史において最も緊迫した局面を迎えたのは、1945年6月6日夜のことでした。

海軍沖縄方面根拠地隊司令官であった旧海軍司令部壕の大田実少将は、海軍次官宛てに極めて異例の訣別電報を打電しました。軍人としての戦況報告や自らの武功ではなく、戦火に巻き込まれながらも軍を支え続けた県民の苦境を克明に記録し、中央政府へ訴えかけた内容です。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」——この大田司令官の最後の電文は、極限状態にあっても他者を思いやる誠意の記録として、今なお多くの人々の胸を打ち続けています。電文送信から数日後の6月13日、大田司令官をはじめとする幹部陣は壕内で自決し、組織的戦闘に幕を下ろしました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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