力道山夫人・田中敬子の現在と壮絶半生|元JalのCaが背負った真実
力道山夫人・田中敬子の現在と壮絶半生|元JalのCaが背負った真実にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。
幸福の絶頂は、あまりにも短期間で残酷な幕切れを迎えます。結婚からわずか半年後の1963年12月8日、力道山は赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員に刃物で刺され、1週間後の12月15日、腹膜炎などの合併症により39歳の若さで急逝しました。
当時、敬子さんは妊娠数か月の身であり、最愛の夫を失った悲嘆に暮れる暇もなく、過酷な現実が襲いかかります。世間は「力道山の遺産は数十億円にのぼる」と騒ぎ立てましたが、実態は全く正反対でした。
当時、力道山は「リキ・スポーツパレス」「リキマンション」「リキ相模湖カントリー倶楽部」など、大規模な総合レジャー事業を展開していました。その資金調達の多くは巨額の金融機関からの借入金で賄われており、本人の急死によって莫大な借金が一挙に顕在化したのです。
さらに当時の税制により、資産査定に基づいた莫大な相続税の支払いが課せられました。敬子さんは22歳の若さで、生まれたばかりの娘を抱えながら、債権者や税務当局との過酷な交渉、事業資産の売却・清算作業に奔走することになりました。「遺産目当てで結婚したのではないか」という心ない世間の風評被害に晒されながらも、彼女は逃げ出すことなく、責任を持って負債の整理をやり遂げたのです。