「人を殺してはいけない理由」の正解とは?法律・哲学から解く納得の真相

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日本国内でこの議論が最も熱を帯びたのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件直後でした。テレビの討論番組や論壇誌『新潮45』などで識者が百出する中、異彩を放ったのが解剖学者・養老孟司氏と社会学者・宮台真司氏の分析でした。

ベストセラー『バカの壁』の著者でもある養老孟司氏は、当時のインタビューや著作において、「そもそも『なぜ人を殺してはいけないのか』と真面目に問うこと自体が、過剰に脳化(記号化)された都市社会の病理である」と喝破しました。養老氏によれば、生物としての人間は本来、他者の死体や血肉、腐敗といった「身体性」に直面したとき、本能的な嫌悪感や恐怖、忌避感を抱きます。ところが、すべてが言語とデータで漂白された現代空間では、人間も画面上の数字や記号のように扱われ、「消去してもリセットできるのではないか」という錯覚が生まれます。

養老氏は「死を理解していない者が、頭の中の言語ゲームだけで殺人を正当化しようとしているにすぎない」と指摘しました。人を殺してはいけない理由を考える前に、私たちは生物として「他者の生命を奪うことの取り返しのつかなさ」を身体で知っているはずだという、強烈な原点回帰の提言です。

一方で、社会学者の宮台真司氏は、社会システム論と感情共同体の二層構造を用いてこの問題を鮮やかに整理しました。宮台氏は「社会」というシステムにおいては、社会契約論の通りコスト計算と相互安全保障によって殺人が禁止されていると前置きした上で、それだけでは防げない領域に警告を発しています。「自分には失うものが何もない(無敵の人)」と感じる個人に対して、社会契約の損得勘定は効力を失うからです。

宮台氏が強調したのは、法や契約以前に存在する「仲間(感情の共同体)」の重要性です。「この人たちを傷つけたくない」「この仲間の中で生きていきたい」という承認や情動の絆が失われ、社会全体がアノミー(無連帯・規範の喪失)に陥ったとき、人は平然と他者の生存権を踏みにじるようになります。殺人の禁止は、法的な抑止力(システム)と、生身の人間同士が交わす情緒的信頼(共同体)の両輪が揃って初めて機能するというのが、宮台氏の鋭利な診断です。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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