【徹底解説】東大全共闘とは?エリート学生が安田講堂に立てこもった真相
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東大全共闘について、ネット上や一般的な回顧録では「純粋な理想に燃えた若者たちの青春」というノスタルジックな神格化か、あるいは「キャンパスを破壊した暴徒集団」という全面否定のどちらかに極端に二極化されがちです。しかし、実際の歴史の細部を検証すると、見過ごされがちな二つの盲点が浮き彫りになります。
第一の盲点は、「全共闘」と「武装セクト(中核派・革マル派・ブントなど)」の深刻な主導権争いです。全共闘運動の当初の魅力は、ヘルメットの色や政党の拘束を受けない自由闊達な「ノンセクト」の精神にありました。しかし、安田講堂に立てこもる段階になると、防衛のための実力行使が必要となり、軍事的な動員力と資金力を持つ過激派セクトが講堂内の各部屋を占拠し、主導権を握るようになりました。初期の純粋な学内改革の機運は、次第にセクト間の権力闘争と武装化にハイジャックされていったのが客観的事実です。
第二の盲点は、彼らが掲げた「自己否定」というスローガンが孕んでいた精神的暴力性です。自己否定とは、特権的な東大生という身分を恥じ、加害者としての自己を自覚せよという倫理的要請でした。しかしこれは、心理学的に見れば極めて危険な集団心理を生み出しました。
「お前はどれだけ自己を否定できているのか」「まだ小市民的な甘えが残っているのではないか」という相互監視と純潔主義の競争が始まったのです。この倫理的潔癖症と絶対的正義の追及は、やがて全共闘運動が衰退した後の1970年代初頭、連合赤軍による山岳ベース事件(凄惨なリンチ殺人)という悲劇へと暗転していく心理的土壌を形成してしまいました。