甲斐とはどこ?山梨県との違いや武田信玄の歴史の真相を徹底解説
甲斐とはどこ?山梨県との違いや武田信玄の歴史の真相を徹底解説について押さえておきたい 事実を分かりやすい構成で解説いたします。
Q1:甲斐国と山梨県の境界線はまったく同じですか?
A1:ほぼ完全に同一です。古代から中世の令制国であった甲斐国の領域は、明治初期の廃藩置県を経て境界の大きな改変を受けることなく山梨県へと引き継がれました。他県のように複数の旧国が合併したり(例:信濃が長野県へ、尾張と三河が愛知県へ)、国の一部が分断されたりすることなく、ひとつの国がそのままひとつの県として存続している珍しい事例です。
Q2:「甲州」と「甲斐」はどう使い分ければいいですか?
A2:地理的・歴史的空間そのものを指すときは「甲斐(甲斐国)」を用い、特産品・文化・街道などを表現するときは「甲州」を用いるのが一般的です。例えば「甲斐の国」「甲斐犬」と呼ぶ一方で、「甲州街道」「甲州ワイン」「甲州街道の宿場町」といった形で表現されます。甲州は甲斐の別称(唐名)であり、意味するエリアに差はありません。
Q3:武田信玄ゆかりの史跡を巡るなら、甲斐市と甲府市のどちらに行くべきですか?
A3:まずは「甲府市」を訪れるのが正解です。信玄が政務を執った「躑躅ヶ崎館(武田神社)」、武田家の菩提寺である「大泉寺」、武田信玄公の銅像がある甲府駅前など、主要な史跡の多くは甲府市にあります。ただし、信玄が築いた治水遺構「信玄堤」を見学したい場合は、甲斐市(旧竜王町地区)を訪れる必要があります。
Q4:甲斐と信濃(長野県)が歴史上でセットにされることが多いのはなぜですか?
A4:両国が内陸の隣国同士として山林や街道を共有し、戦国時代に武田信玄が信濃へ激しい勢力拡大を行ったためです。「甲信(こうしん)」地方や「甲信越」という地域ブロック名が今なお定着しているように、交易や軍事、文化の面で切っても切れない深い連関を持っています。