【幕末史】攘夷派とは?開国派・佐幕派との違いや思想の真相を解説
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尊王攘夷運動が全国で吹き荒れた最大の引き金は、安政5年(1858年)に大老・井伊直弼が朝廷(孝明天皇)の勅許を得ずに締結した日米修好通商条約でした。外国を嫌う孝明天皇の意向を無視した幕府の独断専行は、尊王派の武士たちに激しい怒りを呼び起こします。
井伊直弼は反対派を弾圧する「安政の大獄」を強行しますが、桜田門外の変で暗殺され、幕府の権威は完全に失墜しました。これ以降、京都には血気盛んな志士たちが集結し、外国人襲撃や幕府要人の暗殺といった過激なテロ活動(天誅)が横行するようになります。
幕末の攘夷派を牽引した代表的な人物には、長州藩の指導者となった久坂玄瑞や高杉晋作、土佐藩で土佐勤王党を結成した武市半平太などが挙げられます。彼らは朝廷を動かして幕府に圧力をかけ、文久3年(1863年)5月10日を期日とする「攘夷決行」を幕府に約束させるまでに至りました。この攘夷決行の裏には、条約を破棄させて鎖国へ戻すという目的だけでなく、実行不可能な命令を幕府に突きつけることで幕府の無能さを天下に晒すという政略的な意図も潜んでいました。